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最高裁判所第一小法廷 昭和63年(行ツ)139号 判決

東京都千代田区丸の内二丁目一番二号

上告人

日立電線株式会社

右代表者代表取締役

橋本博治

東京都葛飾区堀切三丁目二七番一二号

上告人

株式会社 安田製作所

右代表者代表取締役

安田基

右両名訴訟代理人弁護士

小坂志磨夫

安田有三

岐阜市宇佐三丁目五番五号

被上告人

株式会社 ユタカコンサルタント

右代表者代表取締役

清水義雄

右訴訟代理人弁護士

田倉整

右当事者間の東京高等裁判所昭和六〇年(行ケ)第三七号審決取消請求事件について、同裁判所が昭和六三年六月一五日言い渡した判決に対し、上告人らから全部破棄を求める旨の上告の申立があつた。よつて、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人小坂志磨夫、同安田有三の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らして是認するに足り、その過程に所論の違法があるとはいえない。論旨は、採用することができない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 佐藤哲郎 裁判官 角田禮次郎 裁判官 大内恒夫 裁判官 四ツ谷巖 裁判官 大堀誠一)

(昭和六三年(行ツ)第一三九号 上告人 日立電線株式会社 外一名)

上告代理人小坂志磨夫、同安田有三の上告理由

目次

前文(上告の対象とする原判決の判断) 一頁

上告理由

第一点 原判決には、判決に影響を及ぼすこと明らかな法令違背が存するから破棄されるべきである。

一、本件争点の判断と科学的経験法則 一一頁

1、送電線の特異性に関する経験則(本件争点の判断と審決の判断) 一一頁

2、送電線と配電線の区分に関する科学的経験法則 一五頁

3、特許庁における他の審決の認めた科学的経験法則 一九頁

4、以上の経験則からみた場合、第三引用発明延線輪の対象は送電線ではなく、絶縁被覆のある配電ケーブルである。 二三頁

二、第三引用例に関する原判決の判断と経験則違反 三四頁

1、原判決における第三引用例の認定(前文四項) 三四頁

2、上告人の掲げた科学的経験法則 三五頁

3、原判決の第三引用例の認定は、右経験則を無視認識したものである。 三六頁

三、結語 四一頁

第二点 原判決には判決に影響を及ぼすこと明らかな審理不尽の違法があるから破棄されるべきである。

一、上告理由第一点指摘の経験則の確認に関する審理不尽 四三頁

二、第三引用例の認定に関する審理不尽 四六頁

1、原判決の認定 四六頁

2、第三引用発明の認定における採証法則違反等 四七頁

〔一〕甲第五号証クレームの対象技術の記載の判決の認定 四八頁

〔二〕甲第五号証クレーム1~3の構成要件〔c〕〔d〕と判決の認定 五一頁

〔三〕甲第五号証の「V溝」“V-groove”に対する原判決の認定評価 五六頁

三、結語 六五頁

前文

(上告の対象とする原判決の判断)

一 本件は、特許第八四一三三九号「送電線延線方法及びその延線装置」に関する訂正無効審判に関する請求不成立の審決(甲第一九号証)取消訴訟に対するものである。

原判決は、右審決を取消す事由として、いわゆる実体的違法即ち本件訂正後発明は進歩性を欠如しており、したがって本件訂正は特許法一二六条三項の規定に違背するとの原審原告(以下被上告人という)の主張を認容した(原判決理由二の3)。

原審被告(以下上告人という)が、上告理由の対象とする原判決の判断は、専らこの点に関すること勿論であるから訂正審判に関する特許法一二六条第一、第二項について触れる余地はなく、専ら同条第三項、換言すれば、「訂正後発明が出願時において特許要件を具有しているか否か」のみが問題とされる。そこで以下においては、右の

訂正後発明を単に本件発明と、

訂正明細書を本件明細書と、

それぞれ略記することとし、前文と題して、本件発明の構成要件を、本件明細書に従って明らかにすると共に、審判手続における審理判断、並びに原判決が審決を違法とした、特定引用例に関連する判断を略記する。

二 本件特許発明の構成と争いのない公知事実

本件特許発明は、

〔イ〕架台とこの架台に回転自在に取付けられた延線輪と該延線輪に適当回数巻付けられた無端チニーンとよりなる延線装置においてチェーン本体には、

〔ロ〕送電線が嵌合する側にV字状の溝を形成せしめた耐摩耗性の弾性物質を設けてなることを特徴とする、

〔ハ〕送電線用延線装置。

なる構成を不可欠要件とするものであり、右〔イ〕を備えた〔ハ〕が公知の資料(第一、第二引用例)に示されていることは、当事者間に争いがない(原判決五丁表10行~五丁裏参照)。

従て、本件の争点は、右〔ロ〕の構成要件が、第三引用例(原審甲第五号証)に、容易になし得る程度に開示されているか否かに存するものということができる。

以下この点を、単に本件争点ということがある。

三 本件争点に関する審決の判断

1 第三引用例に開示される発明は、電気ケーブルを、ケーブルリールから巻戻し、それを延線輪(pay-out wheel)の一部に周回し、続いて支持塔へ延線するための装置で、外周に溝を有する単一のプーリー形式のもので、該溝は、リング状の弾性材料で構成されている。

2 本件発明の延線輪は、延線輪とそれに適当回数巻付けられた無端チェーンよりなるもの(即ち第一、第二引用例と類似)で、第三引用例の延線輪とは明らかに構造的に異なり、延線時における、各々の延線輪と送電線の接触部分の相互関係も、別異の形態をとる。

3 本件発明と第三引用例の、延線時における延線輪と送電線との接触部分における状態の比較

〔ア〕延線輪の構造として両者別異である。

〔イ〕第三引用例の右接触部分における機能は、第五引用例(甲第九号証)二二四~二二五頁における鋼索の場合(上告人注、右二二四頁下三行参照。鋼索の伝動延線時は、ロープのようにVみぞを用いると摩耗が激しいので、みぞの半径を鋼索の半径よりやや大きくしてまるめておく。)に類したものとみるのが相当である。

4 以上を参酌すると、第一、第二引用例の無端ベルトに対し、構造の異なる第三引用例の溝形状を取付けることにより、本件発明の作用効果が、予測できるであろうとは到底認められず、したがって、第一、第二引用例のものに、第三引用例を組合わせることは、第五引用例によって否定されることはあっても到底容易になし得たものとすることはできない。

(注)右は原判決五丁裏~七丁裏の2~4を要約したものであり、傍点は上告人が付した。

右審決の認定は第三引用例の延線輪の外周部分そのもの(即ち延線のため電線を張らない場合の外周形状)と本件発明の構成要件〔ロ〕は一見類似するが、延線時における各々の延線輪と電線との接触部分の相互関係は別異の形態で別異の機能をもつと断定し、第三引用例の延線輪と電線との接触部分における機能は、鋼索の伝動装置につき述べる第五引用例のそれに類似するというにある。

四 本件争点に関する原判決の判断

本件争点即ち第一、第二引用例のものに第三引用例を組合わせることが、容易に発明することができると認められるか否か、に関する原判決の判断は、原判決二九丁表11行~三八丁に記述されているとおりである。

ここでは、右判決理由中、第三引用例に関し、原判決がどの様に判断認定したかの要点のみを掲げておきたい。

1 第三引用例発明は、「ケーブル延線装置に関するもので、より詳しくは電力配線システムにおける、送電線を延線するための装置」(甲第五号証訳文一頁下から8~6行)に関する(三一丁裏3~6行)。但し、右判決文中、電力配線システムとあるのは誤りであり、右訳文中にもあるとおり、電力配電システムが正しい。

2 第三引用例明細書の各記載及び図面、並びに当事者間に争いのない審決認定の記載事項とによれば、第三引用発明は送電線用延線装置に関する(三五丁表5~7行)。

3 被告らは、第三引用発明の対象は送電線ではないと主張するが、

〔ア〕第三引用例には、その対象とする送電線が絶縁被覆のある電気ケーブルである旨の明示の記載はない。

〔イ〕第三引用発明の延線装置により、送電線の延線が不可能であることを示す証拠もない。

〔ウ〕第三引用例の図面第三ないし第五図は、一実施例にすぎないから、被告主張の根拠とするに足りない。

から採用できない(三六丁表)。

4 被告らは第三引用例の延線輪のみぞは埋没型であって、V字状ではないと主張するが

〔ア〕第三引用例第二、第八、第九図には、V字状のみぞが記載されている。

〔イ〕同引用例明細書にV字状みぞと明示されているほか、V字状みぞ形成の目的効果の記載は、本件発明のそれと同じである。

から、第三引用例のみぞがV字状であることは明らかである。被告が根拠とする第九図も、第三引用例には種々の弾性材料があげられ、送電線のV字状溝に及ぼす張力も、延線の状況により変化すると推認されるから、両者の係合関係が、すべての場合に第九図のようになるとは解されない(三六丁表末行~三七丁表九行)。

5 第三引用例と本件発明とは、特段の事情が認められないので延線輪として技術分野を共通するものということができる (三七丁末二行)。

上告理由

第一点 原判決には、判決に影響を及ぼす法令違背が存する。

原判決の第三引用例の認定には科学的経験法則の無視誤用があり、特許法二九条二項の解釈適用を誤った法令の違背を免れず、原判決は、進んで本件発明は、当業者が、第一、第二引用例に第三引用例を適用して容易に発明することができる、として審決を取消したものであるから、右法令違背は判決に影響を及ぼすこと明らかであるから破棄されるべきである。

一 本件争点の判断と科学的経験法則

1 本件争点と審決の判断

本件争点は前文二項に記載した如く、本件特許発明の構成要件〔イ〕〔ロ〕〔ル〕の内〔ロ〕の構成要件が、第三引用例(甲第五号証)に容易になし得る程度に開示されているか否かの一点に帰する。

審決は、第三引用例につき、前文三項の如く認定したが、当該認定に当っては、技術文献の読み取りに際して科学的経験法則を大前提とし、これに小前提たる第三引用例を当てはめる、という当然の操作が行なわれている。

そしてここにいう科学的経験法則は、単純な社会経験から帰納されたものに比して遙かに確率の髙いものであって、その因果律には例外を認め難い。

即ち、本件発明は、ロープ、鋼線、配電線等の他の線条体、を排除し、発電所から髙電圧、超髙電圧を以て、主として山間部に架線されて変電所に至る架空送電線の延線装置に関する(本件明細書甲第二二号証二枚目左欄参照)ことが、右科学的経験法則認定の基礎である。

そして、右にいわゆる送電線は、絶縁被覆を有せず露出したアルミ素線を数十本一束にしてより合わせたもので、その中心部に鋼心を有しており、延線に当っては、数トンに達する張力がかかるのみならず、地面(樹木など)への接触や、自重による流れ込みによって送電線に傷がつくことを防ぐため、延線に当っては、逆方向への張力を与える延線装置が不可欠となる。

ところで送電線は、右に述べたような構造的特色の外に、大きな電力を効率的に長期間に亙って送るという独自の要請を持つため、僅かな傷や変型、例えば各素線表面の傷(ニッキング)の外、より線間の崩れ(笑い)をも許さず、それらの発生による送電線の完全性の欠如は、直ちに放電、電気抵抗の増大等によって電力損失の原因となり、それは送電線の設置期間(少なくとも数十年)中発生し続けることとなる。従て、送電線には、その製作時はもとより、延線・架線の作業時においてもその完全性を損ってはならないという特異な課題があるのである。このような送電線の特具性もまた科学的経験法則として自明のものというべきである。

換言するならば、本件発明の対象技術分野である送電線の延線装置と、送電線以外の線条体の延線装置とは、完全に一線を画していることが明白であり、本件発明の進歩性の有無を判断するため、引用例の技術分野を認定する際には、大前提としてこのような科学的経験法則が用いられるのである。

審決がその理由中において第三引用例の延線輪と、本件発明のそれとを対比して、

〔1〕両者は構造的に異る。

〔2〕延線時における各々の延線輪と、送電線(又はこれに相当する線条体)の接触部分の相互関係も、別異の形態をとる。

〔3〕第三引用例の右接触部分のおける機能は、第五引用例二二四-二二主頁における鋼索の場合に類したものとみるのが相当である(即ち送電線とは認められない)。

と認定し、

「第一、第二引用例のものに第三引用例を組合せることは、第五引用例によって否定されることはあっても、到底容易になし得たものとすることはできない」

と断定した基礎には、前掲の科学的経験則へのあてはめに基づく第三引用例(甲第五号証)の認定が厳存しているのである。

2 送電線と配電線の区分に関する経験則

送電線と配電線につき以下記すところは、科学的常識に属し、立証を要しない経験則であるが、重複をいとわず述べておきたい(なお必要に応じて資料を提出する用意がある)。

〔1〕 本件発明の延線装置によって架空される送電線は、発電所からの電力を消費地近辺の変電所迄送るものであり、裸のより線である。そして、通常鋼心アルミより線が使用される(右送電線につき原審被告第一準備書面一八~二八を参照されたい)。

一方、第三引用発明の延線の対象は、後述のとおり、配電線であり、これは絶縁被覆を有する電力ケーブル、即ち、変電所で降圧された電力を、工場あるいは家庭などの消電者に伝送する配電システム(electric power distribution system)において使用されるケーブルである。

〔2〕 発電所から消費地近辺の変電所に電力を伝送する部分を送電と呼び、またそのための線路を送電線路という.そして、右変電所から他の変電所を経ることなく消費者に電力を伝送する部分を配電と呼び、またそのための線路を配電線路という。そして、送電線路に送電線が、配電線路には配電線がそれぞれ用いられる。

〔3〕 送電線は発電所から、山や谷を、また海峡を越えて、間隔の離れた鉄塔間に架線されるので、架空送電線とも呼ばれている。そして、この送電線は絶縁被覆のない裸の電線が用いられ、またこの電線は、鋼心アルミより線である。更に、送電時の電力の送電効率は送電電圧の二乗に比例するので、送電電圧はより髙圧に、更には超髙圧となり、いわゆる超髙圧送電となる。現在では二七万~五〇万ボルトの送電線が殆どの電力会社で採用されている。このように髙圧化すると、一本の送電線で送電することは不可能となるため、い電線と同じ効果のある複数の送電線によって送電する複導体方式(多導体方式)が不可欠である。この場合送電線の延線にあたり、複数本を同時に延線することが望まれる。

なお、大都市近辺の変電所間にて、電力ケーブルにより電力を送る地中送電線があるが、これ本件発明の延線対象ではない。

〔4〕 一方、配電線は、変電所で数千ボルトの低電圧となった電力を市街地等の消費地に配電するものである.そして電線が建造物あるいは人体に直接触れてはならないので、絶縁被覆のある電力ケーブルが用いられる。

〔5〕 以上のとおり、送電線と配電線は、その架線される区域、一度に架線される間隔、電圧の髙低、使用される電線の数、絶縁被覆の有無などの点において全く異なる.

前者の有する特異な技術的課題は後者に求められず、その延線方式にも基本的な相違がある。両者の延線方式が技術的に別異なものであることは電気並びに力学上の自然法則に基づく技術常識であり、このことは科学的経験則の一つある。

3 特許庁における他の審決の認めた科学的経験法則

本件特許は、訂正審判(審判昭五五-一九一八二号)を経て本件明細書の如く訂正されたものである。

右訂正審判は、それまでの明細書における延線の対象が、単なる「線条体」とされていたものを、すべて送電線に、また「延線装置」とされていたものを、送電線用延線装置に減縮するものであった。右訂正審判に当って、特許庁審判官のなした訂正異議決定、並に訂正審決は、それぞれ原審甲第一、第二号証として顕出されている。

本項では、右訂正異議決定並びに、訂正審決において、特許庁審判官が送電線ないし送電線延線装置についてどの様な科学的経験法則を基礎とし、どの様に判断したかに触れておく。

〔一〕訂正異議の決定(甲第一号証)

異議申立人の、V型溝の採用に進歩性がない旨の主張に対し、異議決定は、送電線にV溝を採用すると大きな摩擦力によるひづみや損傷を受けるとの予想は不自然ではない(自然である)、と説示したうえ、V型溝を送電線延線輪に採用することには、容易性を認めえない旨判断している(同号証七丁裏参照)。

右判断の前提として、上告人がさきに述べた送電線の特異性と当業者の認識に関する科学的経験則が存したことは明白である。

〔二〕訂正審決(甲第二号証)

線条体を送電線に訂正することは、線条体の有意の限定であって、特許請求の範囲の減縮を目的とすると認定(三丁表)し、本訂正は、独立特許の要件を具備する(三丁裏)とした。

右認定もまた、送電線が他の線条体に対し、独自の分野であるという技術常識ないし科学的経験則を当然の前提としたものに外ならない。

右の決定ならびに審決に際しては、未だ、第三引用例(甲第五号証)は提出されていないが、第五引用例(甲第九号証)は既に顕出されていた(甲第一号証五丁2~4行参照)。従って、線条体のある種のもの(ロープ類)の伝動装置に、V型溝を使用すること自体は既に、自明な事柄であったのである。但しV型溝で鋼索を使用すると鋼索の摩耗がはげしいため、これを避け、溝の底部を鋼索の半径より大きな半径とすることもまた、技術常識とされていた(甲第九号証二二四頁)のである。

第三引用例は、訂正無効審判において初めて顕出され、そこには、V型をした溝の図面と「V溝」なる用語が記載されている。然し乍ら、縷述した送電線の特異性と、その延線方法に関する当業者の認識に関する技術常識に従って、第三引用例をみるならば、そこに記載される「V溝」そのものは、そもそも延線とは無関係であり、この装置に使用されるケーブルは送電線ではありえず、当該装置における延線の機能は、第五引用例の鋼索のそれと類似であるとの認定がなされたことは再三述べたとおりである。

そして、異議決定においても、訂正審判においてもまた訂正無効審決においても、認定の前提とされた技術常識は審決文中に何ら示されてはいない。

この技術常識は正に科学的経験法則に外ならないからであって、このことは、原審においても異なるところはなく、右経験則を立証の対象とすべきでないことは謂うをまたない(もっとも、上告人は、原審において右経験則の存在を詳細に主張し、これを大前提として、第三引用例の記載を読み取る場合の結論についても、十分な主張を尽しているのである)。

4、以上の経験則からみた場合、第三引用発明延線輪の対象は送電線ではなく、絶縁被覆のある配電ケーブルである。

〔一〕 原審において、上告人が述べた(原判決事実摘示二三丁裏五行~二六丁裏七行)とおり、仮に第三引用発明の延線輪で、送電線を延線すれば、忽ち送電線のアルミより線の表面に傷がつき、またニッキングはもとより笑いが生じてしまう。即ち、第三引用例では、繰出しホイールの外周に設けられたV型部分を有するリング状溝全体がゴム材からなっており、ケーブルリールから引き出され繰出しホイールに巻きつけられるケーブルは、先ずガイド機構を経て導入部に当るV型部分で把持され、ついで、張力がかかると、ゴム材の溝に押し込まれ埋没状態でホイールを半周し、離脱繰出されることとなる。この際ケーブルに付与される張力の大きさは、ケーブルリールとの間即ち導入部の張力一五〇ポンドに対し、延線輪の繰出し側では七〇〇〇ポンドであるから、その差六八五〇ポンド(三、一〇七キログラム)と、強力な力がケーブルの断面に加わっている(甲第五号証訳文一〇頁10~12行)。したがって、導入埋没時及び繰出し離脱時に、その延線対象たるケーブルの外周面をゴム溝が強烈にこすることとなり、ケーブルには瞬時に笑いやニッキングが生ずるのみならず、決定的な損傷を生ずることは明らかである。

したがって、第三引用発明の延線輪で延線し得るケーブルは、ゴム溝からのこする力が、より線そのものに直接当たらないように被覆(絶縁材)されていなければならず、また「押しつぶす力」によって形がくずれないよう被覆によって形を保持しなければならない。すなわち、絶縁被覆を有する電力ケーブルであるべく、鋼心にアルミニウム裸線がよられている送電線を使用するが如きことは、当業者にとって到底ありえないと認識されることは明白である。審決が第三引用例の右接触部位の機能を第五引用例(甲第九号証)にいう鋼索の場合に類すると断定したのは経験則上余りにも当然のことであった。

〔二〕 第三引用例明細書の次の如き記載は、それ自体、その延線輪の対象が配電ケーブル(絶縁被覆のある電力ケーブル)であることを明確に示している。

〔1〕 発明の対象たる装置に用いる電線として、「cables in electric power distribution systems」(配電システム用ケーブル)と明記されている(甲第五号証1欄一〇、一一行、及びクレームに関する8欄六四行、9欄一〇行、二九行)。

電気用語辞典によれば、

distribution line 配電線

配電線路

distribution network 配電綱

distribution of electric energy 配電

となっており、甲第五号証の前記英文は「配電システム用ケーブル」であること明らかである。

なお、甲第五号証ではケーブルにつき、「electrical power transmission cables」と記載されている(同号証1欄九、一〇行)が、前記辞典によれば、

transmission line 送電線、送電線路

伝送回線、伝送線路

となっており、「transmission line」は「送電線路」の意味と発電所から消電地迄電力を伝送するという一般的な「伝送線路」の二つの意味で用いられている。

前記のとおり、甲第五号証は、「配電システム内」と明示されているから、同号証の「transmission cables」は「伝送線」であり、「配電システム内の伝送線」であって、配電ケーブルに外ならない。

そして、配電ケーブルには、必ず絶縁被覆があることは前記1に述べたとおりである。

〔2〕延線時のケーブルと延線輪の接触部位の相互関係

張力付与時、すなわち延線時には延線の対象たる電力ケーブルがゴム溝内に埋没してしまうことが第九図に示されている。

またこの点につき、送電線(上告人注、ケーブルの誤訳である。以下同様)と延線輪間の摩擦力は、上述したタイプの弾性材料製のV字状溝を用いることによって鷺くほど増大する。」と記載されている(甲第五号証訳文一〇頁7、8行。)なお第三引用例のここでいう「V溝」とは、繰出しホイール外周に設けられたゴム溝のことであって、「私はV字状溝を延線輪の周囲の溝であって、その断面において延線輪の回転軸に集中する壁をもったものであると定義する。この溝は、応力が軽減されたときに送電線との間に隙間を有するような底形状を有する」(甲第五号証九頁4~7行)と説明されるように、張力の付与されていないときの形状から、便宜V溝と定義されているに止まる。そして、延線時における右「V溝」は、図9に示されているように、「ゴムは、送電線張力が増すに従って、送電線一八九の周囲に流れる。大きな張力が使用されるときは送電線の周囲の約七五%が、ゴムで覆われる。この特徴により摩擦力が非常に増大する。」(甲第五号証訳文一〇頁一五~一八行参照)と説明される。いわゆる「V溝」はケーブルに張力が加わると、ケーブルの周囲に流れこむように巻きついて、ケーブルはゴム溝に埋没せしめられ、ゴムにカバーされた状態となり、これによって繰出し離脱部までの大きな摩擦力が生ずるのである。そして、ケーブルに与えられる張力は、導入側と繰出し側で約三トンの差があるというのであるから、導入時、離脱時ケーブルに加わる押圧力等を考えるならば送電線の延線に用いることなどは、当業者にとって夢想だにできぬことである。この押圧力等は、円周方向の三トンのケーブルの張力に対応したケーブルホイールの中心軸に向う強大な求心力そしてゴム溝にケーブルを押しつけ、またゴム溝にケーブルが埋没するときにゴム溝から反作用として受ける強烈な圧縮力並びにゴム溝がケーブル表面を流れることによって生ずる強力なこする力として現われる。

〔3〕 第一クレームの(c)(甲第五号証訳文二三頁)には、「該繰出しホイールはその周辺に環状の溝を有しており、該溝は半径方向断面において繰出しホイールの回転軸方向に集束する壁を有し、通常応力が加わっていない場合ケーブルと溝の底部との間に間隔のある底部形状を有するものとして定義される。」とあり、繰出しホイール外周の溝についてほぼ正確な記述がなされている。「V溝」とはこの溝に関する出願人の便宜的命名であることは既に述べた。また同クレーム(d)にはガイド機構が定められている。その意味は、ケーブル導入時ケーブルがケーブルリール(同明細書第一図一八七)から取り出されて、繰出しホイール(同一〇三)の直線状の受入部分(同一九〇)に至る間ガイドする必要があるとの趣旨である(甲第五号証訳文一一頁5~11行)。換言すれば第三引用例においては、甲第五号証第一図の如く、ケーブルはリール一八七からガイド機構を通ってホイール一〇三に導入され、ホイールの受入部分一九〇でほぼ直線に保たれつつガイドされた後ホイールに巻取られたうえ、約半周すると繰出される機構であり、ホイールに巻取られている半周の間はゴム溝に埋没したまま保持されているのであるから、その導入部の直線状態から巻取られて埋没する際と、繰出し部で離脱する際に強烈にこすられ押圧され、また、その埋没中に強力な押圧力を受けることは既述のとおりである。(第一図の一九〇が右に述べたように、ガイド機構からのケーブル受入れ部であって、ここの溝の断面形状は、溝と底部間の間隔(八図参照)のある状態即ちいわゆるV型溝を形成し受入れたケーブルをV型溝の中心に落して導入するという一種のガイドの役割を果すことについては第二点のこ、の2で詳細説明する。)

右に述べた記載は、第三引用例に書かれている「V溝」の実体をよく示している。それは、繰出しホイール外周に設けられたゴム溝のことであって、応力が加わっていないときはV型の形状を有しているが、それは、リールからケーブルを巻取る時、或はケーブルをリールに巻戻す時に、ホイールとケーブルガイド機構との橋渡しをなす一種のガイド役をなすための形状に止まり、延線時にケーブルはゴムに包みこまれて溝に埋没する形で保持され乍ら繰出し側までホイールの半周を移動し大きな張力を受けるのである。

このことは、原審における被告主張(判決二一丁裏~二二丁)の根拠に外ならず、この場合、ガイドとなるV型から埋没に至る導入時、また埋没から再びV型となって繰出し離脱する時、ケーブルの受ける強烈な力を考えれば、かかる機構の第三引用例を以って、送電線用の延線装置であるとするが如きことは科学的経験則を無視したものと断定しうる。

二 第三引用例に関する原判決の判断と経験則違反

1 原判決における第三引用例の認定(前文四項)

前文四項に要約した原判決の第三引用例の認定を経験則の観点から整理すると次の通りとなる。

〔ア〕第三引用例発明を送電線延線装置に関するものと認定したこと(原判決三五丁表七行参照)。

〔イ〕第三引用例発明の対象ケーブルは、絶縁被覆のあるケーブルには限らないと認定したこと(同三六丁表六~九行参照).

〔ウ〕第三引用例発明の延線装置により、送電線の延線が不可能であることを示す証拠がないと認定したこと(同三六丁表五、六行参照)。

〔エ〕第三引用例と本件発明とは特段の事情が認められないので、延線輪として技術分野を共通する(共に送電線延線装置である)との結論を導いたこと(同三七丁裏七~一一行)。

2 上告人の掲げた科学的経験法則

一項の1、2において上告人は

〔a〕送電線の特異性に関する経験則

〔b〕送電線と配電線の区分に関する経験則を掲げた。そしてそれらは、本件訂正無効審決の理由中で、第三引用例の認定に際し当然の前提とされたこと、右〔a〕の経験則は、本件特許の訂正審判に際し特許庁審判官によってなされた訂正異議の決定ならびに訂正審決においても、当然のこととして証拠判断の前提とされていること、右の〔a〕〔b〕が何れの決定、審決でも当事者の立証をまつことなく、認定判断の大前提とされた科学的経験法則に外ならないこと、並びに上告人は、これらにつき原審において詳細に主張説明して少くとも指摘の責任を尽していること、等を明らかにした。

3 原判決の第三引用例の認定は、右経験則を無視誤認したものである。

経験則を大前提とし、これに第三引用例をあてはめた場合、同引用例の発明が送電線の延線装置に関するものではありえず、技術分野を明確に異にし、いわゆる転用の許されない配電線の延線装置であることが導かれるべきことについても、一項の4で述べた。

原判決の前掲〔ア〕~〔エ〕の認定は、悉く、独自の見解にとらわれて科学技術の文献を読みとる、という誤りによるものといわざるを得ず、そこには文献の表面的な記述や図示に幻惑された多くの非科学的予断が見られるが、それらはすべて、前掲した〔a〕〔b〕の科学的経験法則を無視又は誤認したことに基づくのである。

〔1〕第三引用例発明を送電線を対象とする延線装置であるとの認定〔ア〕〔イ〕が、如何に送電線の特異性という技術的常識を無視したものであるかは既に前項で縷々述べたので再説しない(一項の4参照)。この認定は審決が、「一見」第三引用例の延線輪の外周と本件発明の要件〔ロ〕とが「類似するものの」と指摘した趣旨をも全く理解していない。なる程、第三引用例にはV型の溝が図示されておりV溝(V-grooye)との記載も見られはするが、原判決は、技術専門官庁である特許庁審判官が「一見……類似するもの」と注意を喚起したその基礎にある科学的経験法則を無視し、予断に基づいて、「一見」した丈けで右の図示や文言にとらわれ、て〔ア〕〔イ〕の認定に至るのである。

〔2〕しかも原判決の〔イ〕の認定によると、原判決は、絶縁被覆のあるケーブルは、配電線であり、送電線は裸のより線であることを充分に認識したうえで第三引用例の対象ケーブル中には送電線をも含むと認定したものと思われる。〔イ〕の認定は〔ア〕の認定との矛盾撞着を免れずそれ自体理由そごというべきである。

更に原判決の〔イ〕の認定が少くとも送電線と配電線の区別を認識していた以上、それらが如何なる目的に、どこで使用されるかという点の認識に欠けていたとは思われない。果してそうであるならば、また、原判決が二〇丁裏~二七丁に摘示している上告人の主張を理解しようとするならば、前記二つの科学的経験法則を正確に認識しえない筈はない。その場合、第三引用例の機能、構造、なかんずく、延線時における延線輪とケーブルとの相互関係の形態機能が、審決認定の如くであるとの結論は当然に導き出されるのであるが、原判決は、事ここに出ることなく、前掲〔ウ〕として掲げたように、第三引用例で送電線の延線が不可能であることを示す証拠がない、との判断を示すのである。

そもそも技術文献の読取りに際し、大前提たる技術上の法則、ないしは技術常識を無視誤解するならば、よって得られた判断は法の求める自由心証の枠組みを外れたものであり、法令に違背したものというべきことは改めていうまでもなかろう。〔ウ〕の判断は、数学の約束事たる定理を無視する者が、正当なる「解」に至る証拠を求めるに似て到底とりえないところである。既に一項の4で明らかにしたとおり、第三引用例の対象ケーブルとして送電線を用いることが不可能であることは、

〔a〕送電線の特異性

〔b〕送電線と配電ケーブルには明確な区分があり両者の延線を同一技術者分野とみることはできない

という二つの技術的経験法則に思いを致して甲第五号証を読む限り、立ちどころに読みとれるのである。

原判決が、予断を以て経験則の認識を誤ったことは、前記(ア)~(ウ)の判断の不備ないしそごからしても明白と思われる。

三 結語

本件の唯一の争点である、第三引用例の技術内容の認定と、本件発明の構成(ロ)との対比に当り、当該技術における科学的経験法則を大前提とすべきこと、このことは、本件訂正審判、訂正無効審判を通じて、特許庁審判官の示した決定、審決において、当然のこととしてなされて来たこと、原審被告である上告人も、この点を重点的に述べ、原判決の事実摘示中にすら、そのことは表われていること、のみならず、原判決、理由中の記載からも、右の経験則は当然認識されていたかに考えられないではないこと、にも拘わらず、原判決は、この経験則を無視若しくは誤解して、第三引用例の技術内容の認定を誤り、前掲(エ)に記載したように「第三引用例と本件発明とは、特段の事情が認められないので延線輪として技術分野を共通する」との判断に至ったのである.

右認定が理由の不備、そごを免れず、また法令に違背することは、さきにも述べたが、原判決は、右の認定から進んで、本件発明は、当業者が第一、第二引用例に第三引用例を適用して容易に発明しうると判断して、これに反する特許庁審判官の審決を取消す旨判決した。 原判決には判決に影響を及ぼすこと明らかな法令違背が存するから、破棄されるべきである。

第二点 原判決には判決に影響を及ぼすこと明らかな審理不尽の違法があるから破棄されるべきである。

原判決は第一点記載の経験則の確認、ならびに第三引用例の認定に当って、理由不備、採証法則の違反と審理不尽を免れず、これらの違法は、特許法第二九条第二項適用の誤りを来し審決を取消す直接の根拠となったものである。

一 上告理由第一点指摘の経験則の確認に関する審理不尽

1 本件の争点は、本件発明に特許法第二九条二項にいわゆる進歩性が認められるか否かの一点にある。

本件争点における進歩性の判断は、先ず第三引用例と本件発明とが、共通の技術分野即ち送電線の延線装置といえるか否かで決せられ、仮に技術分野が同一とみられる場合、第三引用例から、延線時の、延線輪(繰出しホイール)外周溝として、V型のものを使用する技術思想が読みとれるか否かにかかる。上告理由第一点においては、原判決が「本件発明と第三引用例とが技術分野を共通にする」と判断するに当って、経験則を無視誤認した点の違法を主張した。

上告理由第二点においては、先ず、原判決が、右経験則の確認を怠った点の違法を審理不尽として主張し、次に原判決が第三引用例の対象ケーブルを送電線と誤認し、しかも延線時の延線輪外周溝をV字型であると認定した点の違法に及ぶ。

2 経験則の認定は、いわゆる因果律に外ならないから、その確認適用は当事者の主張立証をまつことなく職権を以てこれをなすべく、その有無当否は、審級を問はず、審査の対象とすべきこと固よりである(経験則の誤った認識適用を以て、民訴三九五条六号に該当するとなすものとして、大判昭八、一、三一、民集一二-五三、参照)。

経験則確認のためには、私的な経験・研究その他の自由な証明によるほか、釈明処分、求釈明、更には鑑定によるなどを妨げないにもかかわらず、原審はこれをなすことなく、第一点で明らかにしたように、これを無視誤用したのである。

特に、第一点で主張した各経験則は、物の特性に基づく科学的必然の因果律そのものであって、当業者が当然のこととして適用する科学法則であった。これらの経験則は、特許庁審判官が本件審判において第三引用例の技術内容の認定に、また訂正審判においては、特許請求の範囲減縮の有意性の判断に、それぞれ当然のこととして適用したことも既に明ちかにした。

然るに原審は、上告人の詳細な指摘を顧みることなく、確認のための審理も一片の釈明をもなさずして漫然この点の認識を誤ってこれを無視し、第三引用例を以て、送電線の延線装置そのもので、本件発明と技術分野を共通にするとの誤った判断に至ったのである。

経験法則の認識通用の違反と共に審理不尽の違法は明白であり、その結果が判決に直接の影響を与えたことは既述の如く明白である。

二 第三引用例の認定に関する審理不尽

1 原判決の認定

第三引用例につき、原判決は甲第五号証を極めて恣意的に読みとって、当該発明は、送電線の延線装置でその延線輪(繰出しホイール)の延線時の外周溝はV型であると認定した。

以下右の認定が採証の法則を無視した違法を免れない点について順次明らかにする。

2 第三引用発明の認定における採証法則違反等

原判決は随所(三二丁裏3行三五丁、三六丁、三七丁)で、第三引用発明なる用語を使用している。第三引用例といわれる甲第五号証が、アメリカの特許明細書であること、特許法第二九条二項が、「……前号に掲げる発明に基いて容易に発明をすることができたとき」と規定していること、などからするならば、この語法は責められるべきではあるまい。

然し乍ら「第三引用発明は、送電線用延線装置に関するもの」(三五丁表7行)、「第三引用発明の延線輪の溝がV字状溝であることは明らか」(三六丁裏7~8行)という認定には、明白な採証法則の違反がある。

特許明細書は、当該明細書記載の発明を「クレーム」として特許請求し、権利化するために作成される.第三引用発明が何であるかを判定するための第一の指針は、甲第五号証の「クレーム」の記載でなければならない。原判決は、この理を没却し、甲第五号証の「クレーム」を全く検討していない。

〔一〕甲第五号証クレームの対象技術の記載と判決の認定

甲第五号証のクレーム1~8(八欄63行以下)はどの様に記載されているか。

まず6と8を除くすべてのクレームは

An apparatus for stringing electrical power transmission cables in electric power distribution systems.

に関するものである(この内クレーム1~3が主クレーム、4、5、7は1~3の従属クレームであり、6と8は特殊なガイド機構及び感知機構そのものである)。

原判決の引用する甲第五号証訳文は、これを

「電力配電システムにおける送電線の延線装置」と、

被告提出の乙第二号証の二訳文は、

「配電システム内の配電ケーブル架線用装置」と、

訳している。

右下線を施した各英文をどの様に訳すべきかは、既に第一点一の4に述べたとおりである。

(注)上告人は、原審において、昭和六〇年一〇月一六日付を以て乙第二号証の二として第三引用例並びにその訳文(ほぼ全訳)をも提出した。被上告人が甲第五号証(第三引用例)の全訳を提出したのは、準備手続終結直前である。

原判決は、右両訳文のうち甲第五号証訳文のみを引用しているが、両訳文は、最も重要な点、例えば前記傍点部分の訳において著しく相違している。

被上告人提出の右訳文は、縷述した技術常識を正しく認識した者にとっては、一見して誤りであると評価しうる。送電線とは発電所から変電所に送られる送電路に使用され、電力配電システムで使用されるケーブルは、配電線又は配電ケーブルと称されることが技術常識で、配電システムと送電線とは技術的に両立しないからである。

何れにしても第三引用発明の延線装置で使用されるケーブルが、配電システム内で用いられるものであることは、何れの訳文からも明らかである。それを以て、本件発明の架空送電線と解する余地がないことは、かくして明々白々といわねばならない。

原判決は、甲第五号証の誤訳に幻惑され、審理当初から提出されていた乙第二号証の二の訳文を無視したのであろうか。

なお原判決は、「第三引用発明は送電線用延線装置に関する」と認定した根拠を、甲第五号証一欄9~11行(被上告人訳文一頁下から8~6行)の記載に求めている(原判決三一丁裏3~6行)が、そこには前掲クレームと同文が記載されているにすぎない.従って、原判決が、技術常識を無視し、正当な訳文の存在するにも拘わらず敢て誤訳に幻惑され、第三引用例の技術分野を誤認したことに聊かの変りもなか。

〔二〕甲第五号証クレーム1~3の構成要件(c)(d)と判決の認定

次に甲第五号証のクレームにおいて、前証延線装置の構成要件(c)(延線輪の溝)を、どの様に表明しているかを甲第五号証訳文で見てみる。

まず、クレーム1の構成(c)は、

「支持フレームに旋回可能かつ回転可能に取付けられ、送電線リールから送電線を受け入れ、……その延線輪はその周囲に、その放射断面において延線輪の回転軸に集中する壁を持ち、一般に応力が軽減されたときに送電線との間に隙間を有するような底を有しているものとして定義される環状の溝を有している」(訳文二三頁)

である。(各クレーム(c)の「送電線」の原文は、単なる“cable”であって、文意全体からして配電ケーブルと訳すべきであることは既に述べた。)

次にクレーム2の構成(c)は、

「周囲に一本の溝を持った単一の延線輪であって……、前記延線輪は前記送電線リールから送電線を受入れる部分(receiving portion)を備え、弾性材料でできていてその断面が放射状の断面において内側に集中している溝を持ったもの」(訳文二四頁)

クレーム3の構成(c)は、

「……。前記延線輪は送電線リールから送電線を受入れる部分を備え、弾性材料でできているその放射状の断面が開度約四〇~六〇度であり……。」(訳文二五頁)

と訳されている。

溝の形状に関するクレーム1の記載は、原文三欄六九~七二行のV溝(V-groove)の定義に相当し、クレーム2、3と併せ読むと、その溝には、リールからケーブルを「受入れる部分」を備え、このケーブルを「受入れる部分」の形状は、応力が軽減されたときにはその放射状の断面が例えば開度四〇~六〇度のようになることが判明する。

なおクレーム1~3は、構成要件(d)として、「要件(c)にいう延線輪の溝に設けられた受入れ部分とケーブルリールとを一列にし、ケーブルの受入れを容易にするためのガイド機構」を示している。

これを要するに、第三引用例の延線輪(繰出しホイール)の外周溝にはV型の溝が切られている(第八図)が、その目的は、ケーブルリールから導かれるケーブルを、右に述べたガイド機構と連繋して、一列に受入れること、即ち一種のガイドの役目を果させるにある。従って、延線に際し、ケーブルを延線輪に導くと、延線輪の受入れ部分一九〇又は引出部分一九二(この両部分は常にケーブルと一列に、直線的に保持されている)においてV型の溝がケーブルの受入れ送出の役割を果すというのである(甲第五号証訳文一一頁参照)。換言すれば図八の如きV字型の溝断面は、ケーブルを受入れていない時には延線輪の全周に存在するけれども、延線時には、ケーブルと嵌合していない半周においては当然V字型を保持し、ケーブル受入れ部分一九〇においては、前述のガイドの役目を果して、断面形状をV字型から図九の如くに変形し、受入部の直線状態を越えると一挙に図九の断面形状(埋没状態)となって、ケーブルに張力を与え、引出部一九二の直線状態に至ると、再び図八の断面形状(V字状)に戻ってケーブルは、延線輪から離脱繰り出されることとなるのである。

以上の如くであるから、甲第五号証のいう“V-groove”とは、右の変形-回復-変形を繰返す延線輪の溝を、便宜命名した(甲第五号証訳文はこれをV字型溝と訳しているが妥当ではない。乙第二号証の二訳文は、「V溝」としている)にすぎないことは、同号証のクレームを理解し、次で詳細な説明を一読すれば容易に判明するのである.

原判決が、甲第五号証訳文のみに頼って乙第二号証の二訳文を無視したためか、甲第五号証訳文の誤導を受けたためか、「第三引用発明の延線輪の溝がV字状溝であることは明らか」であると即断したことは、採証法則に反した違法を免れないというべきである。

〔三〕甲第五号証の「V溝」“V-groove”に対する原判決の認定評価

原判決は、第三引用発明の「V溝」につき、甲第五号証の各所の記述、図示を挙げまたその機能作用効果についても種々述べるところがある(三一丁裏~三五丁)。しかし、それらは、甲第五号証の発明の何たるかを全く理解することなく、前記文言(特に誤訳ともいうべき甲第五号証訳文の一部)に幻惑された予断に基づくものである.

そこで、甲第五号証の詳細な説明の記載並びに、原判決の認定した三点につき念のため触れておきたい。

〔1〕 原判決は甲第五号証が、公知の送電線延線装置において、冷間加工による疲労亀裂により時に撚線の切断を生ずるなどの欠陥を指摘していることに触れているが、それらは、送電線に関するものではありえない。かかる現象を生ぜしめる如き延線装置に送電線を使用するが如きことは、甲第五号証の出願時の前後を問わずありえないことである。甲第五号証が掲げる公知の装置の欠陥と課題は、すべて配電ケーブル若しくは鋼索ケーブルに関するものであり、かかる課題の解決手段を提供した第三引用発明の技術分野もまた然りであることは技術常識というべきであろう。

原判決三二丁表~同裏5行、三三丁表3行~同裏7行の説示は、そもそも採証の法則を逸脱したものである.

〔2〕 原判決は、絶縁被覆のある電気ケーブルのみが第三引用例の対象ケーブルであるとの上告人(被告)主張を否定したが、甲第五号証の図三~五に被覆ケーブルが図示されていることは、図法上明白である。

原判決もこの点は認めざるを得なかったが、それらの図示は、一実施例にしかすぎない(原判決三六丁表7~9行)という。

然し乍ら右図三は「繰出し送電線(原文二欄6~7行は“pay-out cable”であるから繰出しケーブルが正しい)の動き感知機構の略体正面図」、図四は「図三の機構の平面図」、図五は「図三、V-V線における断面図」(甲第五号証訳文四頁参照)であり、それらの機構そのものは、一実施例であるとしても、そこに示されるケーブルは決して実施例ではない。右図示のケーブルは、本件発明の装置に使用されるケーブルそのものと理解されるべき「ことは余りにも明白であろう。

原判決が、三六丁表において述べるところは、甲第五号証を予断を以て読取ったものとして採証法則に反する。

なお第三引用例の対象ケーブルが被覆のあるもの、即ち裸線たる送電線でないことは、この点からも裏付けられていることは第一点においても述べておいた。

〔3〕 第三引用例の延線輪(繰出しホイール)が、上告人のいう埋没型、即ちケーブルをゴム溝内に埋没せしめる形で把握して、その摩擦力で強大な張力を以て延線せしめるものであることは、さきに甲第五号証のクレーム1~3の(c)(d)項に関して詳細述べたところから明らかである。

原判決三六丁表末行~三七丁九行の認定は、甲第五号証に開示される発明の何たるかの理解を離れた皮相の判断といわざるを得ず、採証法則を誤ったものである。

従って甲第五号証の発明において弾性材料の硬度如何は問題とするに足りない。ケーブルリールからガイド機構によって直線的に導かれたケーブルは、繰出しホイール側の受入れ部分たる一九〇の直線部分のV型の溝で受止められ(V型なるが故に微少な導入の誤差に拘わらずケーブルはいわゆる「V溝」の中心部にガイドされることは技術常識上説明を要しない)、繰出しホイールの曲線部分にかかると一挙に強力な押圧力等(三トンにも及ぶ円周方向のケーブルの張力に対応した繰出しホイールの中心方向への強大な求心力、ゴム溝に埋没するときのゴム溝の反作用として受ける強烈な圧縮力並びに、ゴム溝がケーブル表面を流れることによって生ずる大きなこする力)を受けて溝に埋没せしめられることは既述の通りだからである。

なお甲第五号証の繰出しホイールの溝が、延線時には図九の如き状態(ケーブルは、弾性物質内に押し込まれた状態、いわば埋没せしめられている)でケ-ブルを把握していることは、被上告人すらこれを認めざるを得なかった.なればこそ、被上告人は、右図九にV字状溝があると強弁せざるを得ずして次の如く陳述している。

「USP(上告人注甲第五号証)第九図のように変形した溝こそがV字状溝としての技術的意味を確実に有している。」(原告第一〇回準備書面四丁裏6~7行)

「USP第九図には送電線に大きな張力が加わった場合でも、溝底と送電線との間に隙間が残っていてこれらが二箇所で接触している状態が記載されている。」(原告最終回準備書面九丁表1~3行)

「USPには、送電線に大きな張力がかかることにより第九図のように変形した溝(被告が「埋没型」という溝)こそが、V字状溝としての技術的意味(摩擦増強効果)を有することが次の通り明確に記載されているのである。

〈1〉第九図には、送電線とV字状溝の溝底との間に略三角形の隙間が存在することがはっきりと記載されている。なおこの第九図はかなり縮小複写されているため、原告において第九図をそのまま拡大したものを甲第一六号証の第三図として提出している。」(原告第五回準備書面二八丁裏三行以下)

これを要するに被上告人においても、図八はケーブルと関連しない場合の溝の形状であり、延線時の溝の形状が図九であることはこれを承認しているのである。ただ、被上告人は同図における溝底に僅かに残る三角形の隙間があることから、V字状の溝として本件発明の(ロ)の要件に相当すると主張するのである。原判決は、「第三引用例明細書の右記載及び図面並びに当事者間に争いのない審決認定の第三引用例の記載事項とによれば……弾性材料によるV字状溝を形成したこと……が認められる」三五丁表5行~同丁裏)というのであるが、三四丁裏三行目には、第八、第九図を共に引用しているから、その何れを以てV字状溝と認定したかは必ずしも明らかでない。原判決はこの点において理由の不備、そごを免れないのである。

また原判決が第八図を以て、延線時の溝形状と認定した場合の採証の誤りは縷述のとおりで、それは被上告人すらその誤りを承認したところであった。原判決が仮に第九図の僅かな隙間がある故V字状溝と認定したのであれば、これまた没理も甚だしい。甲第五号証が「V溝」の定義として「応力が加わっていない場合の溝底部の隙間」をとらえたことは再三述べている。応力が十分にかかった状態の溝底部に拡大鏡によらねば判明しない隙間を以てV字型溝の根拠とすることが如何に常軌を逸した見解であるかはいうまでもあるまい。そこに採証法則違反の存することはこれまた明らかである。

三 結語

以上述べたとおり、原判決は、第一点で挙げた科学的経験法則の確認即ち認識に至る採証法則ならびに、第三引用例の技術内容の認定に際しての採証法則に違反したものであって、理由の不備、そごの違法を来したこと明らかである。

そして右違法は、本件の争点たる第三引用例を以て本件発明の進歩性判断の資料とし、これを却けた審決の判断を取消すべき旨判決するに至ったこと明らかなのである。

よって、原判決は、この点においても判決に影響を及ぼすこと明らかな違法あるものとして破棄を免れない。

なお本書末尾に甲第五号証の図一、八、九を添付するので参照されたい。同図には、理解の便のため上告人において、部材等の一部に書込みがなされている。

以上

〈省略〉

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